Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル 番外編

   “あの子は誰ぁれ?”
 

 黎明がその名残りさえ脱ぎ去ってしまうと、降るような蝉の声が朝を連れて来る。
真夏の温気が辺りに垂れ込めるのはあっと言う間で、
それでも瑞々しい緑をたたえた木立ちの多い此処いらはまだ、
市中の大内裏なんぞに比べれば過ごしやすい方。
人々の往来で踏み均された広々とした朱雀大路が、
我こそはとその威容を競い合う貴族や権門らの、
彼らのうらなり顔にさも似たりな…ついでに様式もさして変わらぬ代物。
芸の無さまで競い合っているかのような、
大邸宅とそれを取り巻く白壁塀の連なりの照り返しで炙られて、

 『そこへと行き交う牛車は、
  少しでも涼しいところをと、僅かしかない日陰木陰を争い合うものだから。
  行幸や祭りの見物ともなれば、
  停める場所を巡って牛飼いや雑仕が揉めちゃあ、
  掴み合いの喧嘩もしょっちゅうだそうで、
  その見苦しさが尚のこと、暑苦しいったらないそうだ。』

 桜の宮様こと、東宮様からお聞きになられたこぼれ話を持ち出しちゃあ、
こういう時だけは、場末住まいもいいものよと、鼻高々におなりのお館様だけれど。

 “それって、
  その涼しさへ満足しておいでだったら言えることじゃあないのかしら。”

 単
(ひとえ)の小袖どころか、
極薄の帷子
(かたびら)に筒袴という雑仕のような軽装の上へ、
女物だと裾こそ長いが、内着が透ける絽
(ろ)の仕立ての単を羽織っての。
涼しい感触のする板の間に腹這うと、へちゃりと突っ伏したまま、
宵までをお過ごしだったりするのにね。
暑いんだからしゃあねぇだろがと、行儀の悪さも何のそので通されるのも相変わらずだ。
とはいえ、お館様が放埒だからといって、下々までが全員“右へならえ”をしていては、
それこそ“これだから育ちが胡亂な輩は…”との謗
(そし)りを受けかねないので。
セナを始めとし、家人らはなかなかに姿勢のいい過ごしようをしているのだが。

 「…普通は、
  だから下の者
(もん)への見本になるべく気を引き締めねばいけねぇと、
  上の者がもっと上の者から叱言として言われることじゃねぇのか、それ?」

 お前さんまでが何を言い出すかなと、
もしやして暑さ負けなら養生しなんせとでも言いたいか、
どこか案じるようなお顔になった黒の侍従様から訊かれたのへ、

 「葉柱さん、ウチで“普通”が通用すると思ってんですか?」
 「…いんや。」

 大丈夫、そういう下地はちゃんと判っていての発言だったらしいセナくんが、

「それに、下手に油断をしていると、
何かしら悪戯を仕掛けても来なさるお師様ですからね。」

 あんな風に暑い暑いとへばって見せているのは実は擬態で、

 「ああやってボクたちの油断を伺っておいでなのかも知れませぬ。」
 「おいおい。」

 相変わらず、妙な方向で信用されてないお館様だったりするらしい。
それはまま判らんでもないとして、
(笑)

 「悪戯?」

 以前は、簡単な咒も交えての、他愛ない幻惑でからかったりし、
こんな術を見抜けぬとは笑止千万なんていう、
はた迷惑な悪ふざけをしないでもない蛭魔だったが。
このところは…さすがに瀬那の側でも腕を上げたので、
中途半端な術ではあっさり見破られ、
さして面白い顛末にもならぬとあってか、
そういうちょっかいは目に見えて減っていたように思えるがと。
そこはそれ、精悍壮健、屈強な風貌に見合うほど、
雄々しくも荒くたい人性に見せておきながら、
その実、あのお人へ限定で観察眼も把握もしっかなそれである侍従殿。
だってのに今もなお“悪戯”を警戒するとは用心深きことよと、
黒髪をのっけた小首を微かに傾げて見せたれば、

 「あ、そっか。葉柱さんはおいでじゃなかったんだ。」

 先日のちょっとした“悪戯”を、
だが、この彼は知らなんだのだと気がついたセナくん。
涼しげな色襲
(かさね)は夏のそれ、
白地の小袖と縹青の単
(ひとえ)に合わせての、
青みを帯びた白袴を履いた自分のお膝の上へと。
か細い腕を投げ出しての突っ伏すようになってうたた寝をしていた、
仔ギツネ童子さんの夏の毛並みを、
まだまだ子供っぽい造作の手でやわやわと梳いてやりつつ、

「あのですね…。」

 話し出す前から、微妙にくすすと笑いつつ語ってくれたお話というのが…





  ◇  ◇  ◇



 その日、葉柱が屋敷にいなかったのは、蜥蜴一門の節気の顔合わせに出ていたからで、
暦の上でも“これから暑くなりますぞ”という節目を迎えた日のお話。
梅雨の長雨も何とか去って、その間に吸った湿気を飛ばすためと、
お天道様が殺菌とやらをしてくれるそうなのでと、
手の空いた者が総出で、蔵から運び出した書物の虫干しを手掛けていた、
そりゃあいいお天気だったそんな中、

 「さぁさ、精をつけて下さりませ。」

 丁寧に扱うことを最優先という繊細な、されど結構な大仕事。
蛭魔が庭先に組んだ、矢来垣みたいな干し台の上へ、
綴じ本から巻物から、指示どおりに並べていた作業が一段落し、
暑い暑いと吹き出す汗を拭いつつ、一息ついてた皆へ。
酒粕使ったどろどろしたそれではなく、さらりとした白酒を冷やしたの、
舎人らへ振る舞ったのが、庫裏で膳賄いをあずかる女性たち。
他のお話でも触れたことがありますが、
日本のお酒は、鎌倉後期や江戸時代あたりになるまでは、
白くて甘いめの濁り酒が主流だったし、
江戸に入っても夏場の商品として白酒を作っていたそうで。
お酒は飲めないクチのセナくんや牛飼いの童子らへは、

 「こちらをどうぞ。」

 やはりよく冷やした桃やら西瓜やらが振る舞われ。
食べよいようにと切り分けたのを盆に乗せ、
どうぞと運んで来た女性らに混じり、
一人だけ、妙に小さな和子がいるのに気がついた。

 “…あれ?”

 年の頃は、セナよりもずんと年下で、十に届くかどうかくらいだろうか。
幼子すぎての一枚着物というような簡略な格好ではなく、
かといって仰々しくも袙
(あこめ)を羽織りの緋袴を履きのという
重装備をしてはいないところは、
いかにも実用優先という此処の庫裏方の信条に添うたそれ。
白い小袖の上へ萌黄の単と桃色の小袿
(こうち)を重ね着て、
その双方の裾を、裾を引きずらないよう、
くるぶしまでの丈になるよう、腰でくくった佩にて調整している、
ちょっとした外出着のような軽やかないで立ちであり。
それら互いの裾が少しずつずらされての、
色襲
(かさね)の工夫が覗くようにされた洒落っけは、
下働きにあたる女房などにはあまり許されぬもの。
すなわち、そんな格好だというだけで、
それなりの地位にあるお家の娘さんであるということを…指しているのだが。

 “あんな子、いたかなぁ。”

 いろんな意味から皆様へもお馴染みのこのお屋敷。
それなりの格式のお家に知己がない訳ではないけれど、
縁故の上の事情からでも、はたまた行儀見習いの奉公のためででも、
わざわざこんな可憐な年頃のお嬢さんを寄越すお家への心当たりなんて、

 “ない…よなぁ。”

 意外といや意外な話だが、
このあばら家屋敷、乱暴者はお館様以外にはいないというくらい、
家人らには結構お行儀がいい人ばかりが揃っており。
性悪者はそれこそお館様が敏感に嗅ぎ分けての絶妙に淘汰なさるため、
入り込めてもそのまま居着けた例
(ためし)はない。
とはいっても、それを信じてはもらえぬほど、
権門の間には良からぬ噂しか流れてはおらぬので。
それでなくとも婦女子はあまり家の外へは出されないのが当たり前という当節、
どんなに幼くとも、こういういで立ちをなさる格のお家のご令嬢が、
供のお人も連れないまま他所のお家に上がり込むのは珍しく。

とはいえ、

、そんな本格的な詮議めいた疑問を抱いたはセナくらいのもの。
他の面々はと言えば、

 「ささ、どーぞ。」
 「あ、こりゃどうも…。」
 「すいません、いただきます。」

 幼いお声で勧められるまま、恐縮の体で水菓子を受け取るばかりの、
どちらかといや…ほわんと魂抜かれたかのように、
相手のお顔へ見ほれているばかり。
というのが、その和子、とにかく愛らしい。
裳をつけての大人になりましたという年頃は過ぎていように、
まだ前髪断ちの、裾も衿元で切り揃えた“禿
(かむろ)風”でおわすその黒髪の、
濡れ羽のようなつややかさと瑞々しさはどうだろか。
頬に触れる端のほうだけ、左右ともに筆ほど摘まんでの、
色つきの元結いでこめかみ当たりで束ねて垂らした房髪がまた、
得も言われず可憐で愛らしく。
色白なお顔には、滲み出すほどもの潤みの強い、
黒々とした黒耀の瞳が座っており、
柔らかそうな小鼻とすべらかな頬には、
淡雪のように白くて詰んだ肌がのり、
お花のような緋色の口元ほころばせ、ふわり微笑うと、
天女のお顔もこのような無垢純潔かと思わすほどの、
屈託のない稚さが何とも言えず愛らしい。

 「見たか見たか、あの童女。」
 「おうさ。お館様の縁者様か?」
 「さぁさ知らぬが、何とも麗しい和子ではないか。」
 「さようさ。寿命が延びるような愛らしさぞ。」

 あれをこそ“眼福”というのだろなと、
前触れなくも現れた水蜜桃の精のような存在へ、
暑さも忘れ、皆して見ほれていた中で、

“だとすればその眷属を“どうか食べて”と配って回ってる訳でしょか。”

 理屈が合ってるような合ってないような、なんて。
そんなことまで怪訝そうに感じてた、小さな書生くんの肩、
ぽんぽんと叩いた存在があり。え?と振り返れば、そこにおわしたは、

 「お師匠様?」
 「さすがにお主だけは諮
(たばか)られんかったか。」

 何へかは知らぬが、くつくつと楽しそうに笑っておいでの蛭魔だったりし。
彼にとっては大切なものを扱うがため、
一応は白づくめの小袖に筒袴、
その上へ半臂という袖のない短衣を重ねた格好でおわしまし。
書庫の整理という、結構神経を使うはずの仕事の最中であるというに、
そんな笑い方が出来るほどの何か、
彼には楽しい悪戯を仕掛けておいでだったのは一目瞭然。
しかもこのお言いようから察するに、

 「じゃあ、あの子は何かを人に変化
(へんげ)させた“式神”なんですか?」

 式神というのは、術者と契約した邪妖や精霊そのもののことを言うのではなくて。
咒を書いた紙を切り抜いたものや、それを貼った何かを、
さも生身の生き物のように機能させ、操る術のこと全般を指す…というのは、
この一連のお話のどっかでやっぱりご紹介済みのはずですが。
(ずぼらな)
だとすれば、あの愛らしい童女の正体は。
伝言を運ぶ鳥や、誰かを遠隔操作したいとする…
それが嵩じて呪いの念を込める道具にもなる“人形
(ひとがた)”や。
そんな何かなのでしょかと、こそっと訊き返したセナくんへ、

「いんや。」

 ふりふりとゆるゆると、かぶりを振って見せたは、
無邪気な企みだからと言うよりも…焦らすため。
庭先にいた皆様と違って、屋敷の上、濡れ縁に立っていた二人であったので、
皆様へ一通り配り終えたその童女の側でも、振り返りざまこちらに気づいた模様。
空になった盆を膳方の女性へ渡すと そのまま、
小走りの所作も愛らしく、こちらへと寄って来る素直なあどけなさもまた。
まだ幼いからだろうが、それ以上の無邪気さがあって微笑ましく。

「お手伝いは済んだか?」
「あいvv」

 頷く仕草に髪が揺れ、とっても楽しかったのと、
滲ませるように目許を細めて微笑うお顔には、
まだまだ晩生
(おくて)なセナでさえ、

 “あわわ…。///////”

 ちょっぴりドキドキと胸の鼓動を跳ね上げかけたほど。
そんな童女とセナとを目顔だけで従わせ、
いつもの広間という屋敷の奥向きまでついて来させた蛭魔だったが、

 「お師匠様?」

 こんなところにお呼びになったは、何か御用だからでしょうかと
セナが声を掛けた同じ間合い。
こちらへは背中を向けたまま、その細身の肩をふるると震わせると、
濃色の半臂の上、金のお髪
(ぐし)も同じように震え出し、

 「ま、まだ判らんのか?」

 お声に滲んでいたのは…くつくつという引き付けるような笑いの気配。
そして、そのまま片手を上げると、

 「くうや。」

 短くそうと言ったその途端、

 「あい♪」

 童女がやっぱり屈託なく頷いて、
並んでいたセナのお隣で、ポンと音立て、白っぽいもやに包まれてしまい。

 「……え?」

 はい? やっぱり式神さんではあったの?
でもでも、確か……お師匠様は“くう”と言わなかったか?
そんなこんなに虚を突かれたようになって、立ち尽くしていたセナのすぐ間近。
愛らしい少女がいた場所へ、霞が晴れての現れたのが、





  ◇  ◇  ◇



 その日とさして変わらない、照りつけるよな陽射しを御簾の向こうに眺めつつ、

  「……くうだったってか?」

 セナくんの豊かな描写によれば、
それはそれは愛らしい…
この姿より もちっと年上な童女の姿に変化していた くうだったと、
そんな顛末だったことになる。
眇めると恐ろしいまでの迫力を帯びる三白眼を、
今は単純なる驚きに見開いての仰天している葉柱へ、

「びっくりしましたよ、ボクだって。」

 どきどきと胸が躍ったのが恥ずかしくなったほど、と。
小さな肩をすくめて見せる。
こちらさんもあまりの蒸し暑い晩のせいでの寝不足か、
それとも単なるお昼寝なのか。
頭の上でのこそこそとしたお喋りにも動じずに、
くうすうと眠り続ける小さな和子。
絹糸のようにつやのある猫っ毛の髪を後ろ頭へ高々と束ね、
やはり大きな双眸をし、
ふくふくと柔らかそうな…強く摘まんだらしおれてしまいそうな、
真綿みたいな頼りなさの頬や小鼻をした、
そりゃあ愛くるしい風貌をしてはいるけれど。
どう見たって男の子だし、
まだ二、三歳くらいという年格好なのは、実年令に合わせているからで。
そんな幼い和子が、そこまでの変化の術を操れようとは、

 「信じたくなきゃそれでもいいさ。」
 「…っ☆」

 おおっとと。
思わずのこと頼もしい肩が跳ね上がったそのまま、
葉柱がそおっと肩越しに振り返れば、

 「起きましたかね。」
 「起きました。」

 だらだらと板の間に懐くようにして、午睡を堪能していたはずのお館様が、
いつの間にやら…こちらの二人の真後ろにまで、
気配を殺しての近づいて来ておいで。
日頃にない丁寧な口調で言い返した彼だったのは、だが、
話題や内緒話へ怒っていたせいではないらしく。
話の内容へ信じ難いというお顔になってた葉柱へ、
その場にいずとも引っかけたような感触を得ての、
つまりは“してやったり”という上機嫌から出たそれだったらしく。

 「他には変化
(へんげ)出来ねぇのかって訊いてよ、そしたら。」

 『わんことにゃんこには なれゆですvv』
 『う〜ん、それはあんまり大した変化とは言えねぇな。』

 人の姿だと いつもの坊やにしかなれねぇのかと、
そういう方向で話を振っての、何度か“えいえい”と頑張らせたら、

 「あんなかわいい姿になっちまったもんだから、まあ吃驚したこと。」
 「…お師様、お顔が満面得意げです。」

 この分だと、その折だってきっと…吃驚したのより“これは使えるっ”とか何とか、
悪戯心とやらで頭が一杯になったお館様だったに違いなく。

 「でもでも、まだこんな小さいうちからそんな色々と変化出来るなんて、
  とっても凄いことなんでしょう?」
 「まあな。普通の野狐が昇格して霊力を得たとして、
  一生かけても何か一つにしか化けられなくとも、
それで御の字とするもんだ。」

 あとの大半は、相手へ幻術かけることで色んなものへ見せるって方法になっちまう。
あ、やっぱりそうでしたか、
それを“化かされる”って言うんですね…なんて、師弟が納得し合っておれば、

 「狡りぃな。俺だけ見てねぇぞ。」
 「そんなら、起こして頼んでみなよ。」
 「あ、ダメですよう。無理から起こしちゃあ。」

 大人二人の大人げないお言いようを、
セナくんが“ダメですってば”と制してのごちゃごちゃに擽られ、

 「…〜〜〜、うにゃ?」

 ありゃりゃ、当の坊やが起きちゃったみたいです。
はてさて、小さな仔ギツネさんは、どんな変化を見せてくれますことやら。
とりあえずは…寝ぼけたまんまでやっての、童姿のお館様とかになってしまわぬよう、
そんな姿に感慨深くなった誰かさんを泣かせたりしないよう、
気をつけてね、坊や。
(苦笑)






  〜Fine〜 08.7.30.


  *いえね、色々と開眼しつつある仔ギツネさんなので、
   変身の術の方はどうだろかと、
   進歩したらどうなるものかと想像してみたもんですから。
   きっと可愛い女の子にもなれるんでしょねと思ったら、
   矢も楯もたまらずでございました。(日本語が変ですね、すいません。)

  *ちなみに、こんな可愛い姿を見せたら、
   「阿含の野郎なんか、卒倒すんじゃねぇの?」
   ウチでは微妙に小さい子が大好きというポジションのお兄さんのこと、
   誰かさんが誰かさんへの嫌がらせ半分で持ち出せば、
   そちらさんからのお返事がある前に、

   「あぎょんが好きはこっち。」

   ふるると髪を揺さぶって、ポンと変身したのが、
   裾長の衣紋は錦織のしっかとしたものだが、
   裾や袖から覗くは更紗の垂れようも軽やかで可憐な…

   「唐風…でしょうか。」
   「らしいな。」

   にゃは〜と嬉しそうに微笑ってるご本人には罪はなかろうが。
   既にそれと知ってるってことは…?
(笑)

    めーるふぉーむvv ぽちっとなvv

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